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21世紀の人財像

ハーバード大学卒業スピーチ || ナタリー・ポートマン

ステータス、富、栄誉……得たものを必ずしも信頼してはいけない

先日、私はもうすぐ4歳になる息子と遊園地に行きました。

そして彼がゲームをするのを見ていました。
彼は的当てに全神経を集中させていました。

ユダヤ人の母親としては20ステップ先を見越して、彼の感、実力、
集中力をあわせ持つメジャーリーグ選手になるに違いないと想像していました。
しかし、彼は小さなおもちゃを手に入れるためにゲームをしていたのです。

景品を得ることは彼にとってはるかにエキサイティングなのです。
もちろん私は彼にゲームに挑戦することの楽しさや、練習してうまくなることの喜び、
目標を達成したときの達成感を味わってほしいと思っていました。

しかしこんな気持ちは、10円ほどのプラスチックのおもちゃ、
青い手が伸びて壁にくっつくものなんですが、それを貰う喜びに負けてしまいます。

自身の子供の中に、自分の内なる傾向を見ることがあります。
彼自身の行動の中に自分に当てはまるものを、見つけたのです。あなたにも当てはまるかもしれません。

つまりは、どこにでもそんなちょっとしたご褒美があり、
私たちはしばしば、そういったものに惑わされてしまいがちです。

つまりは、どこにでもそんなちょっとしたご褒美があり、
私たちはしばしば、そういったものに惑わされてしまいがちです。

ステータス、富、栄誉、力、今後あなた達はこういったものを得る機会があるでしょう。

もちろん、ハーバードを誇りに思う卒業生として以上に、今日私がここに来た理由としては、
私が今までの人生でそういった多くの賞や富を得てきたことにもよります。
くだらないものばかりでもありません。オスカーを得ることもできました。

私たちは同じように苦難に立ち向かって成長していきます。多くを勝ち得てきた先人たちも「達成したことによって得られたものを必ずしも信頼してはいけない」と言います。
しかし、逆もまたしかりで、実際には達成して得るものが役に立つ時もあります。

もしあなたがなぜそれをしているか、わかっているのであれば、達成することはすばらしいことです。
それがわかっていなければ、達成すること自体がひどい罠になってしまうことがあります。

周囲に合わせていた高校時代

私はロングアイランドにある公立のソヨーセット高校に通いました。

「あら、こんにちは、ソヨーセット」

一緒に高校に通った友人たちは、プラダの鞄を持ち、
髪も真っすぐにアイロンをかけて、話し方もきまっていて。
そんな中、コネチカットから引っ越してきた私は、周りと合うように、彼女達の話し方のマネをしていました。

「フロリダ、オレンジ、 チョコレート、チェリー」

すっかり昔のことですが、高校時代はちょうどインターネットが始まったばかりで、
私が女優であることはあまり知られていませんでした。

私は、リュックがいつも私よりも大きく見えてしまうような少女で、
ノートの上に手を広げてバツ印が人から見えないようにしていました。

私は高校のシニアの時に、年度のまとめの本に
「“Jeopardy!”(雑学の知識を問うアメリカのテレビ番組)に出てそうなオタク」として、投票されていたのです。

自信に満ちあふれている同級生は皆優秀で...。

私がハーバードに入学した時は、ちょうど「スターウォーズのエピソード1」が公開されたばかりでした。
私は自分でも、人からどのように見られるかという面で、これが新しい始まりだと感じていました。

ハーバードに入学できたのは、自分が有名であるという理由だけではないかと人から思われることを恐れていました。

ハーバードで、自分が周りの人間から「知的レベルが低い」と思われるのではないかと不安でした。
確かにそれは全くの嘘ではないかもしれません。
ここに来る前は、10ページ以上の論文など書いたことがありませんでした。

5ページ以上の論文を書いたかどうかも怪しいところです。周囲の同級や上級の学生たちで、アメリカでもトップの高校(ダルトンやエグジトン)から来たような生徒たちは高校の時のほうがたくさん勉強しなくてはいけなかったからハーバードは楽だなんて話していて、私は強い危機感を感じていました。

私にとっては全く手に負えない状況でした。
週に1000ページも本を読むなんて、想像上の出来事だと思っていました。
50ページもの修士論文を書けるなんて思いもしませんでした。

私はどうやって自身の意図を発表するかもわかりませんでした。
自身をうまく説明することさえ難しかったのです。私は11歳の時から演技をしてきました。
しかし、演技をすることは全く価値がなく、意味がないと思っていました。

私の家族は学術を重んじる人たちばかりです。
それに比べて、私は自身の将来を発表することさえできませんでした。

ハーバード大学のオリエンテーションの初日に、
クラスの5人が「いつか大統領になります」と言いました。今の言葉を覚えておいてください。

(大統領になると言った学生の名前5名をあげる)。バーニー・サンダース、マーク・ルビオ、テッド・クルーズ、バラク・オバマ、ヒラリー・クリントン。

真面目な話ですが、彼らの自信のある態度は、今後の将来を決めるように思えました。
私はそのように自身をはっきりと表に出すことができませんでした。

こうしてハーバードにいるのは「自分が有名人だから」他の人はそう見ているし、自分もそう思っていました。

こんな不安感に動かされ、私はハーバードで何かもっと有意義なことを見つけ、世界をもっと良い場所に変えると決意していました。

なぜ自分が女優をしているかに気がついた

18歳の時、既に演技を始めてから7年もの年月が経っていましたが、私は大学でもっと真剣で重要な道を見つけると思い込んでいました。

1年生の秋に、真面目で知的でありたい私は、神経生物学と難度の高い現代ヘブルイ語学科を専攻しました。

言うまでもなく、どちらも落第でも納得の出来だったと思います。ちなみに、成績はBでした。
今でも毎週日曜日には、成績を過大評価されたために、異教徒の神々の小さな像を燃やしています。

しかし、私がヘブルイ語に四苦八苦し、さまざまな神経反応の機序を理解しようとしている中、
友人たちは航海や芸能雑誌の文化についての論文を書いていました。
教授にいたっては、おとぎ話やマトリックスについての講義をしていました。

真面目さは非常に大事なことであり、それに伴ったトロフィーを貰えるものの、
疑わしいところもあり、逆に「自分はこんな人間だ」と言うつもりで考えていたものとは反するものでした。

私は、自身がなぜ女優をしているのかに気がついたのです。演技をすることが大好きだとわかったのです。
そして、同級生や恩師を見ていて、何かを好きだということが最も大切な理由だということがわかったのです。

私は卒業にあたり、今あなた達が座っている場所に座りました。
ハーバードにいた4年間、何か女優業とは違うことを頑張ってみようとしていました。

しかし、結局のところ、もっと映画を作るのが楽しみで待ちきれなくなっていました。
もっと話を伝えたい、他の人々の人生に思いを巡らしたい、そして人々がそんな思いを巡らす手助けをしたい。

私は自分自身の理由を見つけ、再びそれを掲げられるようになったのです。

2015年の卒業生、こんにちは。私は今日ここにいることを大変光栄に感じています。
クラナ学部長、教員の方々、ご両親の皆さま、特に今年度の卒業生、私を招待して頂いて感謝しています。

大学のクラス委員の皆さま、私が今までで頼まれた依頼の中でも、一番うれしいお願いの1つでした。
まず、最初にお伝えしておきますが、ソニーのハック事件の情報漏洩と同じく、私のスピーチに関しての情報が流出しました。

私はメールでこう返事していたのです。「素敵ですね!ゴーストライターが必要だわ!誰かいないの?」
この返信はすっかり出回ってしまいました。

私自身の卒業の時には、ウィル・フィレルが来てくれたらラッキーぐらいの状況だったのです。
みんな笑いたくて、酔っ払って、二日酔いか、ハイになっているような感じです。

卒業して12年が経ちましたが、まだ自分自身に自信がありません。
しかし、京は皆さんに伝えたいことがあってきたのです。

卒業生の皆さんがちょうど幼稚園生だったであろう1999年に、私はハーバード大学に入学したばかりでした。私は、ここに来たのは何かの間違いで、自分は他の学生よりも優秀ではないと感じていました。何か話をする際にはいつも、私はバカな女優ではないと証明しなくてはいけないと思っていたのです。

先に、謝っておかなくてはいけませんが、私のこれからする話はあまりおもしろくありません。
私は、コメディアンではありませんし、ゴーストライターもいません。
皆さんがハーバードを卒業することの意味をお伝えするために、今日ここにきたのです。

皆さんがここにいるのには理由があるのです。

時には不安や経験不足のせいで他人の期待を重く感じてしまうこともあるかもしれません。
しかし、自分の道を切り開くには経験の浅さも利用することができます。
無知は、物事を知る負担から解放され、自分自身の人生の選択の幅を広げることでもあるのです。

ハーバードの学位が持つ本当の意味

あなた達は今、賞を与えられました。もしくは明日にでも受け取るでしょう。賞とは、ハーバードの学位を手に入れたことです。

しかし、その裏にあるあなたにとって学位を得た本当の理由は、なんでしょうか? 私にとってハーバードの学位は、ハーバードで育まれた好奇心と発明心、そして今でも続く学友との友情を意味しています。

グラハム教授はこう言いました。「花に光があたった様子を表現するのではありません。花が作る影を表現しなさい」と。

また、ある教授は「劇場には、革新的で宗教的な力がある」と教えてくれました。ある教授は「大脳の視覚野が想像するだけでどれほど活性化されるか」と、教えてくれました。

このような教えは、もちろん私が普段よく聞かれる質問の答えにはなりません。

「どのデザイナーの服を着ていますか?」「どんな内容の運動をしていますか?」「化粧のアイデアは?」しかし、以前の自分であれば、くだらないと思っていたかもしれない質問に対しても、今は聞かれて自身が恥ずかしいと感じることはなくなりました。

ハーバードの学位やその他の賞は私自身の経験の象徴であり、こういった経験の積み重ねがもたらしてくれたものです。

木造のパネルの講義室、秋の紅葉、熱々のバニラトースト、図書館の心地よい椅子ですばらしい小説を読む。

廊下を「ウッ! アッ! シティステップ、シティステップ、シティステップ!」(学生時代のパフォーマンスアートのクラブの決まり文句)と言いながらステップを踏んで歩く。

今、ハーバードにいた時のことを美化するのは簡単なことです。しかし、とても大変なときもありました。

当時、私は19歳で、始めての失恋を経験したばかりで、今ではうつ病の副作用のために処方が禁じられた避妊薬を飲んでいたことや、冬の日射時間の短さなどが重なって、特に大学2年生の時に、かなり暗い時期を過ごしました。

時には、大学教授との面談の際に急に泣き出し、やらなくてはいけないことがうまくできず、すっかり当惑して、朝ベッドから起き上がれないようなこともありました。

大学の課題を取り出した時「だめだ、これではいけない」と思いました。もしこの10ページの論文を書くという1つの課題が、大きなサワーパッチ(酸っぱいグミのお菓子)の袋を食べて、終わることができさえすれば、すばらしい達成だと思っていました。

自分自身に繰り返して言いました。「だめだ、これではいけない」

東京の寿司屋に感じた奥深さ

数年前に、夫と2人で東京に旅行した時に、すばらしい寿司屋に行く機会がありました。私は魚を食べません。ベジタリアンだからです。

どれだけ良い寿司だったか、お察し頂けるかもしれません。

野菜だけの寿司であったとしても、その寿司はまるで夢に見るほどの寿司でした。
その寿司屋にはカウンター席が6席しかありません。

夫と私は「他に誰がこんなにシャリをおいしく作ることができるのか」と賞賛するばかりでした。
私たちはなぜこの寿司屋が店を大きくして、街でもっとも有名な店にしないのかと不思議に思いました。

しかし、地元の友人がこう説明してくれました。
「東京で一番のレストランは皆一様にして小さな店なのだ」と。

そして「それらのレストランは一品ものだけを作る店である」と。
例えば、寿司、天ぷら、もしくは照り焼きです。その一品の料理だけにこだわって、美しく作りたいからです。
量ではなく、その特定な一品の完璧さや美しさを楽しむことが大事なのだと。

「レオン」から得た学び

私はまだ学びの過程にあります。
良さというもの、未だ果たされていませんが、ただ一つの仕事に対する喜び、
真摯な態度、特化した優れた技術、そういった一種の楽しみを人々に与え、自身にも与えることなのです。

私自身も、自分が仕事をする理由を見つけるのに時間がかかりました。

私の最初の映画は1994年に公開されました。
うんざりするけど皆さんの生まれた年です。

映画が公開されたとき、私は13歳でした。

当時のニューヨーク・タイムズに私のことが
どう書かれたか、今でも覚えています。

ポートマンは動作よりも静止の演技が良い。

この映画は世界中で批判を受け、反響を呼びました。

その映画は、「レオン」という映画です。

それから20年が経ち、35本の映画に出演していますが、
今でも多くの人が「レオン」を以下に好きで、
感動したかを語ってくれます。

そのような大きな反響を生むような映画に
最初に出演できたのは幸運でした。

私は、経済的な成功や批判家からの評価よりも、映画製作の経験と
人とのつながりから、私が女優である意義を学びました。

また、後世へ語り継がれるような仕事は、
最初の周りの反応は当てにならないことを学びました。

それから情熱を感じる仕事を選ぶようになりました。

そうすることで、有意義な経験を積めることも分かりました。
しかし、これは私の周囲のひとたちを混乱させてしまいました。

プロデューサーや観客も同様です。

私は「宮廷画家ゴヤは見た」という映画に出演するため、4ヶ月プラド美術館に通って美術史を学び、
ゴヤやスペイン美術史の本を読みました。

「Vフォーベンデッタ」というアクション映画では、
テロリストとよばれるかもしれないメナヘム・ベギンや
ウェザーマンのような自由闘争者について学びました。

「ロードオブクエスト」というコメディー映画では、ダニー・マクブライドと
3ヶ月笑いっぱなしでした。
私は自分の意義を持つことができ、興行収入や名声によって左右されるものではありません。

リスクを選んだからこそ見えた世界

そして「ブラックスマン」に携わりました。
この作品は私自身そのものです。

批判家がどう判断するか、観客がどう感じるかは
既にあまり気にしていませんでした。

バレエダンサーはあるレベルまで到達すると
技術にそれほど違いは無いそうです。

唯一の違いはダンサーの癖や欠点です。

あるバレリーナはターンでわずかにバランスを崩すことで有名でした。
技術的に完璧になることはありえません。

自分より高く飛び、美しいラインを作り出す人は必ずいるものです。
あなたが最高になれるのはあなた自身を表現することだけです。

自分自身のテーマは
ブラックスワンのテーマでした。

私はダーレン監督とともに、映画の最後のセリフを変えました。

「完璧よ」

私の演じたニーナは、他人から見た完璧ではなく、
自分自身で完璧を感じることで、芸術的な成功を得ました。

ブラックスワンは興行収入もよく、私も称賛されました。
多くの人とのつながりに感謝しました。

しかし、私は人々からの反応とは関係なく、自らの意義を確立していました。
人々は言いました。

「ブラックスワンは危険だ。」「プロのバレエダンサーを演じるのは無謀だ。」

しかし、わたしには不安はありませんでした。
自分自身の限界すらも感じていませんでした。

大学時代は不安で人の決めたルールに従っていましたが、今はリスクをリスクとすら感じなくなりました。

ダーレン監督に「バレエは踊れるか」とたずねられたとき、「私はもとからバレリーナよ」と答えました。
本当に僧思っていたのですが、映画の準備をしてみると、バレリーナになるには15年はかかるとわかりました。

私は百万回も練習を重ね、勿論映像技術にも助けられて作品が出来上がりました。
重要なのは、自分の限界を知っていたら、リスクをとることができなかった、ということです。

リスクを取ることで素晴らしい作品ができ、良い経験を得ることができました。
さらに、自由になれただけでなく、夫とめぐり合うことができました。

同様に、私の初の監督作品「A Tale of Love and Darkness」はとてもチャレンジングでした。

この作品は全編ヘブライ語の映画で、8歳の子どもと一緒に私も共演者として出演しました。

この映画は恐ろしいほどチャレンジングで予期しないことばかりでした。

しかし、自分の限界を知らない私は周りからも信頼を得て、無事監督を務めることができました。

その時は何が何でも自分で解決しなければいけませんでした。
何でも自分で解決できるという自信もありましたが、それに根拠がなく、半分は戦いでした。

そしてもう半分はとてつもない苦労でした。
監督の経験は私のキャリアの中でももっとも意味のあるものになりました。

知識が無いのに心臓外科の手術をしてみろと言っているわけではないです。

映画製作は他の職業よりもストレスが少なく、
ミスしても編集で補うことができます。

自分自身を疑わずに、信じてみてほしいことです。

私達は年をとるにつれてより現実的になり、できることとできないことを区別してしまいますが、
現実主義は何も得にもなりません。

一般的に、「怖いものこそ試してみろ」とよく言われています。
私は怖いものがあれば逃げてしまうし、子どもにも同じようにさせますけどね。

私の強みは、「無知」だと思っています。
アメリカの子どもは他者を避難する傾向があり、それで自信をつけているように思います。

それではエゴを誇張し、自信過剰になってしまいます。
やったことが無いことにチャレンジすることは良いことのはずです。

経験不足は資産であり、型にはまらないオリジナルの方法を見つけることができます。
知識不足を資産として、知識を身につけてください。

作曲ができない有名なバイオリニストの友人がいるのですが、
彼は多くの作品を知りすぎたせいで、作曲しようとすると既存の作品が心に浮かんでしまうそうです。

強みを発揮するということは、ものごとがどのようになっているのかを知ることではないのです。

あまり知りすぎてない方が、自由に振舞うことができるのです。

そして、物事のやり方に「当然」はありません。

自分自身の方法で何かに取り組むべきです。
皆さんは偉大なことを成し遂げるでしょう。
それについては間違いありません。

なにか新しいことをするたびに、未経験が意図せずプラスに働いて、他社の共感を得られることもあるでしょう。
あるいは、自分がおこなっていることがわからなくても、自分の道を鍛えることになります。

泥臭く、下手くそな方法であっても、自分自身の方法であり、それは自分自身のためのものです。
自分自身の生き方を実現することによって、幸せを得ることができるでしょう。

ミス・アメリカの選挙のように聞こえるかもしれませんが、私の最も充実した経験は、人との交流です。
FincaというNPO団体を通して出会ったメキシコの人々や村の銀行との交流したり、
ケニアで初めて中学校に行った女性に会ったり、途上国で学校を建設するこどもたちに会ったり、

ルワンダのゴリラ保護団体とトレッキングしたりしました。
陳腐な表現ですが、本当です。
他人を助けることは、自分自身を助けることに繋がります。

他者の人生を気遣うことで、自分は宇宙の中心ではないことを思い知らされます。
また、私達は寛大であったり、そうでなかったりします。

職場でも私達は他者の人生を変えることができます。
映画のスタッフや、俳優仲間がしてくれた小さな親切は、ずっと私の心に残り、影響を与えています。

もちろん私の世界の中心は、家族や友人と分かち合う愛です。

私は卒業してからも、ハーバードの友だちとはなかよくしているので、皆さんもそうなることを願っています。
学校の友だちはいまでも最高です。

私達はお互いの心を癒しあい、お互いの結婚式ではダンスもしました。
お葬式で慰めあい、お互いの赤ちゃんをあやしました。

私たちはお互いに協力し合って仕事をし、
良いことがあればパーティーをしました。

そして今、私達の子ども達は、しごとをしている親を見ながら、次の世代の友情を作り始めています。
皆さん友だちは大切にしてください。

この学校が提供する最大の資産は、家族であり人生の学びでもある仲間です。
私はケンブリッジの春に怒っていたことを覚えています。

8ヶ月もの長い冬の後でも、春には暖かい日が射し、芝生の上で人々が笑いあい、巧みに良い記憶を残すのです。
そして、ココに帰ってきたくなるのです。

しかし、ここを数年間離れると、この 私が好きな思想家の一人であるアブラハム・ヨシェア・ヘッシェルはこのように言っています。

「存在するかしないかは問題ではない。どう存在するか、どう存在するべきでないかが問題なのだ」と語ります。

ありがとうございます。
皆さんのご活躍を期待しています。

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